鍼灸師が主力の企業が本格参入
「誰がやっても同じ結果がでる」ということであり、これがわかりやすい科学の定義である(ただし科学者側に自分の実験結果をすべて公開する勇気がなければ、インチキなデータで書き上げた論文のウソを見破ることが難しくなってしまう)。
科学においては再現性ということがもっとも重要な意味を持つだろう。
となると、医学は果たして、現代において科学と考えられるだろうか。
医術(アート)と呼ばれていたギリシャの医学と比べて、本当に現代医学は科学となってきたのだろうか。
この問いに答えることは非常に難しい。
たとえば、外科手術の成否は執刀医によって異なることを考えても、医学に再現性があると言い切ることがためらわれる。
これには2つの理由がある。
ひとつには、同じ患者というものが存在しないからだ。
どんな病気においても、病気はその患者にとっては唯一のものである。
そもそも病気は、患者自身とその病原菌やがん細胞との相互関係によって起きてくる。
がん細胞は元はといえば患者の細胞から作り出されたものであり、異常増殖しているとはいえ、あくまでも患者の細胞の個性にもとづいている。
そのため、病気は結局、細胞の個性の問題、つまりもとの遺伝子と深い関係があるのだ。
したがって、医者がいくら医学的に病気を分類しようとも、それは顕微鏡の上で死んだ細胞を見て行った病理的な区別であり、あるいはさまざまな検査をした結果からの診断にすぎない。
病気は最先端の医学研究ではさまざまな分類がされているが、病因は細胞の個性に関係しているために、患者が同じような経過をたどらないのである。
要するに、同じ患者がいないのであるから、これを比較することが非常に難しいということだ。
これが医学には再現性が欠けているという理由である。
もうひとつは医者自身の技術的な差の影響である。
一人の患者で、二人の医者の技術的な差を比べることはできない。
外科的な手術であれば、医者個人の技術レベルの差がある患者がもっとも知りたいことは、どこに名医がいるかということや、自分の主治医はどの程度の技術を持った医者なのかということであろう。
しかし、前述したように、再現性があることが科学の条件ということであれば、名医が存在するという現実は、医学の非科学性を示していることになる。
なぜなら、外科手術に再現性があるのであれば、誰が手術を行っても同じ結果になるはずなのに、実際にはそうはならないからだ。
ことは想像できる。
内科医が風邪薬を処方するということですら、患者の治癒には影響がでる可能性がある。
というのは、患者との信頼関係ができあがっている医者が「必ずよくなりますよ」と言うことで、患者のもつ自然治癒力が高まる可能性があるからだ。
医学はそういった見えない部分での、患者への影響が非常に大きい。
以上のように考えると、どの医者が診ても同じ結果ということが非常に難しくなってくるわけである。
医者が手術の説明をするとき、その危険性を大げさに説明する、とはあっても、絶対大丈夫であると言い切ることはない。
万が一、手術が失敗に終われば、医者は責任を問われることになるから、手術の危険を大げさに伝えざるをえなくなる。
医学が科学だとすれば、医学が進歩すればするほど、どんな医者が行っても同じ結果にならねばいけないが、内視鏡にしろ、あるいは診断にしろ、同じ結果には決してならない。
いまの医学では技術的な差が治療に与える影響はきわめて大きい。
そのことは、いかに医学が不安定な技術であるかの証左といえるだろう。
手術ともなれば、さらに技術的な差が出てしまう。
経験がどうしても必要なぶん、若手の医者より、同じような患者をたくさん手術してきたベテランの医者のほうが、信頼が置けるものだ。
それが医学というものの不安定さであり、たとえ患者が医学に確実性を求めるとしても、それは現代医学では不可能に近いことになる。
「インフォームドコンセント」という言葉がアメリカから日本に入ってきたとき、当初は「説明と同意」と訳されていた。
だが実際には、医療訴訟が多くなったアメリカで訴訟リスクを下げ医療サイドを守るために、あらかじめ患者に説明を行っておくという意味が強かつては、なにか患者側から不満を言われたとき、「十分にムンテラをやっていないからだ」という先輩の叱責があったものだ。
ムンテラは、患者サイドに立って情報公開を進めるために行われるのではなく、あくまでも医療サイドを守るための患者への説明でしかなかった。
それがインフォームドコンセントで多少なりとも改善はされたが、患者への病状説明は非常に難しいものになってきている。
治療の可能性をいろいろ開示したとしても、選択が多くなればなるほど、患者やその家族は不安になってしまう。
医療情報が開示され、選択がふえることは、治療への迷いとなりストレスが大きくなっていくことを意味する。
その前の時代には、医者どうしが使う言葉に「ムンテラ」という言葉があった。
ムンテラとは冨匡己夢の国亘の略で、直訳すれば「口頭での治療」という意味になるが、「患者とのトラブルを避けるために、治療方針を説明すること」という意味あいが強かつ医者のランキング、病院のランキングの本がたくさん出ている。
この背景には、患者にもっといい医療を受けたいという願望が大きいことと、いままで日本の医療が病院の情報を隠し続けてきたことがある。
ほとんど市場原理の働かない今の日本の医療は、病院の情報を発信していなかったので、競争も起きようがなかったのだ。
病院は一般の企業とは違い、利益を追求するべきではないという建て前がある。
そのために医療に市場性を持ち込むのはおかしいという考えが根強い。
だからこそ医療法人の株式会社化は進まないし、医師会からの反対も激しい。
「医療を利潤追求の対象にすれば、医療の質が落ちる」、「医療の素人が病院経営をすれば、情報開示が進めば進むほど、むしろ両者にとって問題を生み出していく危険がある。
この点にも医学の暖昧さがある。
結局患者にしわ寄せがくる」と、株式会社化に反対する人たちは言う。
アメリカ式の医療経済にすれば、経営効率優先で、保険会社に支配される医療になってしまうと言われている。
金持ちは十分な医療が受けられるが、所得の低い人は医療も受けられないという極端な状況になっている。
それでも医療情報はかなりの部分まで公開されているぶん患者のメリットも大きい。
確かに、株式会社化は必ずしも医療の質を上げないかもしれない。
それでも、患者には選択の余地と、金を出せばいい医療を受けられる自由が存在する。
日本式の平等医療の徹底化は、ある時期まではいいが、患者がもっといい医療を受けたいと望んだとき、今の日本の医療体制ではとても応じられない。
本当の専門の医者に診てほしい、もっと碕麗でプライバシーの守られる病院に入院したいと思っても、ごく限られた病院でしか、その願望は実現できない。
以前に比べれば、病院の情報は開示されてきているが、まだまだ十分ではない。
情報がないからこそ、患者は名医の情報を求める。
しかし、名医の定義がはっきりしないので、その評価も難しい。
同じ患者を同じ数だけ治療して治療成績を比べることができるのであれば、医者の技術評価もできるであろう。
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